久しぶりの更新です。
(長くなってしまいました・・・。)
4月30日朝、父親が亡くなりました・・・・。
入院はしていましたが、27日に見舞いに行ったときは、
普通に会話していたし、なんとか退院を目標に、リハビリ
もしていたので、そんな急に亡くなるとは思わず、
訃報にほんと驚きました。
救いは、苦しまずに亡くなったことですね。
ほんと、私にとって、またまたショックな出来事でした・・・。
病院、通夜、葬儀、火葬場と涙が止まりませんでした・・・。
なにも親孝行できなかったことの後悔の念でいっぱいです。
2年前に母親が亡くなり、これで父親も・・・・。
やはり、両親がいなくなるというのは、いつかくるのでしょうが、
ほんと寂しいことですね。
囲碁、将棋、写真が趣味で、
口数は少ないのですが、
とても温厚で優しいほんといい父親でした。
私は、背中をみせるそんな父親が大好きでした。
また、いい息子ではないですが、怒られたり、注意されたり、
することはほとんどなかったです。
しかし、一度だけ、おもいっきりどつかれたことがありました。
それは、
−私が幼稚園の年長時のある日の話です。−
私は、団地に住んでいたのですが、
団地の同じ幼稚園に通うみんなは、
スクールバスで通っていたのですが、
私一人は、母親が強いカラダに!と
一人寂しく歩いて通っていました。
また、両親が共働きで、鍵っ子だったこともあり、
やはり、寂しさもあったのでしょう。
−ある日の幼稚園の帰り道−
(それまでに、父親が競馬好きで、日曜日に、
よく京都競馬場に行ってたのですが、それに、
電車も乗れるし、馬も見れるので、よくついて
いっており、その時に、幼稚園児は無料で乗
れることを学習していたのもあって)
電車に乗りに行こう!となんかふと思い、
滝井駅に向かいました。
そして、滝井駅から普通電車に乗って、
楽しんでいると、あっという間に、終点の
三条駅(京都)。
楽しかった私は、今度は、特急に乗り、
三条〜淀屋橋駅
そして、今度は、急行に乗って、
淀屋橋〜三条
そして、今度は、準急に乗って、
三条〜京橋駅
そして、今度は、区間急行に乗って、
京橋〜守口市駅
最後は、普通電車に乗って、
守口市駅〜土居駅(家)
すべての種類の電車に乗ったり、景色をみたりで、
楽しさのあまり時間を忘れておりました。
土居駅についたのは、たしか20時30分ぐらいでしたか、
それまでに、17時ぐらいまでは、団地で遊んでいたこと
はありましたが、こんな遅くなることは、なかったので、
さすがに、かなり怒られなぁ、と思いながら駅から家まで
歩いているのを覚えています。
そして、団地の下にはパトカーが3台。
(その時は、まさか私が呼んでいたとは思いませんでした。)
エレベーターで10階まで上がって、扉が開くと、
近所の人、おまわりさんでいっぱいで、大騒ぎを
していたようで、私の姿をみると、みなさんが、
「よかった!」「どこいってたの!」と心配してく
れていた声でいっぱいでした。
その光景は、今でも浮かびます。
(その時、両親が、近所の方、おまわりさんにだいぶ謝っていました)
そして、その時に、落ち着いた後、
父親に家の中に入ってからおもいっきりどつかれ
ました。(当たり前なのですが)
父親にどつかれたのは、これが、最初で、最後です。
この時のことは、ほんと鮮明に覚えています。
その当時は、子供の誘拐事件などが多い時代で、
大騒ぎになったんでしょうね。
(今でもなりますか・・。)
その次の日は、午前中、みっちりと、幼稚園で、
先生から(刑事さんも来て)の事情聴取。
そんなことは、その当時、幼稚園設立から初めて
だったようです。
ほんと、とんでもないことをした私でした・・・。
(この話は、これぐらいにしておきます。)
ほんと、いなくなるとその存在の
大きさがわかりますね。
ほんと親孝行できなかったです。
が、父親が一人になってから、
また、入院してからは、できるだけ
時間を作って、顔を出すようにして
いました。それはできてよかったなぁ
と自分自身思います。
ほんと、10分とか20分ぐらいしか
顔ださないその時も、毎回、父親は、
「ありがとう!」と言ってくれていました。
なんかまだ強い脱力感があり、あまり
眠れず、力があまり入らない感じですが、
今日から、感謝と思い出を胸により一層
頑張りたいと思います。
お父さんほんとありがとう!!
安らかに眠ってください。
ブログの更新をどうしようか迷いましたが、
この時の気持ちを何かに残したく更新しました。
長々となりましたが、読んで頂いた方、
本当にありがとうございました。